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リア充爆発しろ。 [雑記]

“リア充爆発しろ”
最近、よく目にするようになった。
自分もたまに言う。
ゴロが良く、面白いから。

そもそも、“リア充”とは何なのか?
そんなこと考えたことなんてない。

「貴方の私生活は充実しているか?」
と聞かれると、私は迷わず『NO』と答える。
本当に傍に居たい人に
もう会うこともできないのだから。

「貴方は周りの人間や環境に恵まれているか?」
と聞かれたら、私は迷わず『YES』と答える。
恋人を失って一度は自暴自棄になったり
不安定になった時期もあったりしたが、
“自分は生かされている”ということを
強く認識するようになった。
私がそれまで自分の全てだと思ってきた人を失って
自分で自分を終わらせずに済んだのは
私の周りの支えであったことは間違いないのである。
もちろん、恋人のある日の一言によるところもあるのだが。

「私の為に死ぬくらいなら、私の為に生きて。」

私は今も生きている。
「自分の為に生きてる?」
と聞かれたら、『NO』と答えるかもしれない。
“誰か”の為に生きていた方がきっと
自分らしい生き方ができると思える。


今のバイト先の仕事は9日までであった。
11日からの新しい仕事に向けて、10日はゆっくり休んで
モチベーションとコンディションを整えるつもりでいた。

しかし、バイト先の男子の恋人が重病で入院したと聞いた。
私は迷わず、
「10日、代わりにシフト入るから、傍に居てやれ。」
こう彼に告げた。
もちろん、彼には自分の境遇を伝えていない。
不安を煽るだけだから・・・
「すみません! ありがとうございます!」
素直な返事に昔の自分の香りを感じた。

今、傍に居る人間がずっと傍に居るわけではない。
恋人であれば、
その人と結婚するかもしれないし、
すぐに別れてしまうかもしれないし、
ある日突然、別離してしまうかもしれない。
両親や兄弟、子供、親戚、友達・・・
ずっとずっと一緒に居られるわけではない。

おそらく、以前、どこかで話したけれど、
いつ何時、自分が、もしくは誰かが
どうなっても後悔のない毎日を送りたいものだ。

自分が終わりを迎えたとき
“何もない人生だった”と思ってしまったら、
誰かを失ったとき、
息もできないほど号泣することができなかったら、
そのときは、
自分は“非リア充”だったのかもしれない。

全ては何らかの終わりを迎えたときにしか
結論が導かれないのである。
まだ道の途中であるのに、
立ち止まって答えを導こうとしてもそれは無理な話だ。
 
タグ:雑記
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